白水千雅さん

子どもが幼稚園の時に離婚。私・娘・息子の3人で預貯金0からの生活がスタート。 そんな中、子ども達にはしたい事をさせてあげたいという思いで、必死に働き、教育費に追われる母を救った母と子どもの物語。

預貯金0からの生活

娘と息子がまだ幼稚園の時、夫との離婚を決意。 その頃、貯金も全くなく私と子ども達3人で本当にゼロからのスタートでした。 でも、私は子ども達に父親がいないからと思わせたくない。何がなんでも、親から与えられる最大限のことはしてあげたいという強い思いから、必死に教育費の為に働きました。

母子家庭だからと諦めさせないために

娘は中学から高校まで6年間一貫の私立を希望し、小学4年生から塾通。 無事、私立中学に入学し、勉強や部活に打ち込みました。 そして高校1年でニュージーランドに留学。 その為、ニュージーランドと日本の授業料を同時に支払う事になりました。 そして、大学も私立へ入学し、1年間ロサンゼルスに留学。 息子は、小学生から野球を始めていたので、仕事の傍ら送迎をしたり常に時間に追われていました。 息子もまた高校・大学共に私立に入学し、授業料・寮費・生活費・野球道具の購入などを支払う日々が続きました。 2歳差の大学生2人だったので、日々時間とお金に追われ、毎日がピンチの連続でした。

頑張れる源は子どもたちだと改めて実感

毎日必死で過ごしていたある日、息子の野球帽の裏に『オカンのために』と書かれているのを見た時は、本当に嬉しく、正直心が折れそうな日もありましたが、”私は子ども達がいるから毎日頑張れているんや。 もっと頑張ろう!”と改めて思えました。 また、息子が大学に入学した際、私に手紙をくれました。その時の手紙も私にとっては大切な宝物となっています。 そして子ども達も成人し、私が仕事で落ち込んでいたある日、「もう授業料もいらないし、一人くらい食べさせられるから、仕事辞めてゆっくりしたら?」と娘と息子が言ってくれました。 私は、今まで心身共にダメージを受けながらも必死に駆け抜けてきましたが、頑張ってきてよかった。子供たちは立派に成長してくれていると改めて実感しました。

しんどい時期があったとしても、前に向かって生きて行かないといけない時が誰にでも訪れます。 自分の経験から、今ではエステ関係のセラピスト育成や、産後のケアボディスペシャリスト育成などで、世の中でたくさんの悩む女性に、寄り添う事ができるセラピストを沢山作りたいと思っています。 ですが、そのセラピストが世の中に浸透していないのも現実。しっかり心身を整えられるセラピストを作ると共に、セラピストと言う職業の必要性をもっと認知してもらえるように、私はまだまだ前に向かって走り続けます。
(白水 千雅)


濱崎和子さん

夫が大腸癌で17年前に死別。 その後、長男小学2年生・次男年中の3人で広島県で過ごす。 子どもの反抗期、シングルマザーとしての葛藤などを経験後、子ども2人を東京大学に入学させた物語。

残された家族の時間

長野県で家族4人で暮らしている時に夫に大腸癌が見つかり、余命3ヵ月から半年という厳しい現実。 病気と闘い苦しい治療をしながら、夫は生きがいでもある仕事も続け、残された時間を大切に過ごそうと、信州の大自然に子供たちを連れて思い出をたくさんつくりました。 そして病気がわかってから一年後、桜の季節に帰らぬ人となりました。 夫はいつも残される私達のこれからの事を考えてくれました。 私は、夫の前向きな姿勢、いつもユーモアを失わない、揺るがない精神的な強さに、大きく影響を受け『自分が強くならなくてはいけない。』と強く思い、 また『人生には期限があること、人に伝えたい想いはその時に伝えなければ後悔するかもしれない。』と夫に教えてもらいました。

シングルマザーとしての不安と葛藤

夫の死後、長男小学2年生、次男年中の春、私たちは実家のある広島県に引っ越し3人で新たな生活を始めました。 やんちゃで元気いっぱいの子どもたちを育てるのが、私の生きがいでもあり、 子どもにできるだけ多くの体験をさせたい、一生のめり込める何かを早く見つけさせたかったので、 キャンプなどの野外活動から、習い事まで出来るだけ様々な経験をさせてきました。 そんな中、長男が反抗期を迎え、言い合いをしたり、時には壁に穴が開くような場面もあり、次男にもかわいそうな思いをさせたと思います。 未熟な自分が嫌になり、父親がいたらこんな風にならなかったのかな。 私一人で育てられるかな。と葛藤もしました。

共に成長した子どもの思春期

長男の反抗期は朝から起こすのも大変で、バトルを繰り広げては落ち込み悩んでいました。 そんな日々が3年ほど続いたある日、高校生になった長男からもらった決意の手紙。 『15年育ててくれてありがとう。やっと明確な夢をもつことができました。心の弱い部分が出る事もあるけど、なくすように心がける。』と...。 それから長男は努力をして東京大学に入学することができました。 また次男も小学5年生の時に『いつもお母さんを助けてあげたい気持ちでいっぱいでした。あまり無理をしないでください。』と手紙をくれました。 それから数年後、次男も兄と同じく東京大学に入学。 これまでたくさんの大変な時期もありましたが、子どもなりに色々考えていたという事。 また兄弟それぞれの成長と共に私も一緒に成長させてもらっていたんだなと気付かされました。

子どものことはいつまでも心配ですが、今ではそれぞれの夢を追って、留学や就活に頑張っている姿を頼もしく思い、その姿をバネに私も前向きに生きていきたいと思います。 また、今では素晴らしい歌の師匠に出逢い、音楽の仲間から日々学んでいます。 ヨーロッパやハワイへゴスペル賛美旅行に行ったり、自身のバンド活動では演劇的な要素を加えた自分らしい演出や表現を追求したり...。 『限りあるいのちを、燃やし続けていきたい。』と今はただ思っています。
(濱崎 和子)


青木千草さん

離婚をきっかけに2歳の息子を育てるために、朝から晩まで働きっぱなしの日々だったある日、息子の一言で、人生を見直そうと思ったのがきっかけで 『手帳に書いては有言実行をしていく』手帳によって人生が好転した物語。

人生を変えた息子の一言

離婚した当時、息子は2歳でしたが生活費を稼ぐのに朝から晩まで働いていました。 元々、フィットネスのインストラクターとして働いていましたが、どうしても夜の時間帯の仕事が多いことから、日中は派遣社員として働く毎日を過ごしていました。 そんな中、息子と過ごせる時間はほんの僅か。 仕事が終わり、息子を寝かしつけようと帰宅したある日。 息子は私に「僕生まれてこなかったらよかった」と言いました。 その瞬間、「ハッ!」となり、私が必死に働かないとと思っていたけど、本当にそれでよかったのかな?と初めて立ち止まったのが、息子が小学2年生の時でした。

理想のスケジュールを現実に

息子の一言がきっかけで、一度スケジュールを見直そうと、学生時代から手帳オタクだった事から手書きで自分の使いやすい手帳を作りました。 そこで、手帳術の元となったのがヨガの師匠でした。 師匠はとても厳しく「"思考・言葉・行動"の3つを一緒にしなさい。」 「有言実行しないとヨガをやる者とは言えない。」と教えられたのがきっかけで、もっと手帳術を追求しようと思いました。 その為に、まずは、自分の理想のスケジュールを立てて、一つ一つ有言実行をしていきました。 気が付いたら、1年後のスケジュールが1年前に書いたのとその通りになっていて、「書く・やる」という事はすごい力があるという事を実感しました。 それを続けてきた私は、今では夢を叶える事ができました。

仕事・家事・育児と毎日忙しく自分の時間なんてと思っている女性が多い中、自分を癒せないと、絶対に子どもも癒せない。 と実感した経験から手帳術が生まれました。 "女性がこうなりたい。やりたいことを叶えたい"時から使う、未来を予約する手帳。それが、『CITTA手帳』です。
(青木 千草)

夢を叶える手帳『CITTA手帳』

CITTA手帳 CITTA手帳 購入はコチラ CITTA手帳について / CITTA手帳の使い方を知る

- ドラマ撮影の裏側 -

ドラマ撮影の裏側

放送を経て・・・